バターカップのほうが好き
- 2018/02/18
- 12:20
(チェリー)ブロッサム よりは。 という話
ではなく、玄冬の山間探索でのひとコマ
なるほど。 「前足 であって、手じゃねぇです」などという無粋な思いは無用。
野生、ことさらジビエ的な自然と向き合う地域の日常なのでしょう。
つまり
こんな道路のすぐ脇に猪捕獲装置、である。
重量感、構造のプリミティブさ、そして”置きっぱなし”感に、中身が居ないのに威圧されます。
猪的な獣が中に入ったら、両側がガシャリと落下して閉じ込め成功 とするシステムとは
中央に張られた細い針金(①-①’)が、つっかえ棒に結んであり
獣がそれに引っ掛かって、ピンッ!と つっかえ棒が外れると
両側の扉?を吊り上げているワイヤーの張力が掛かっているレバー(③)が下がり
支点の反対側が上がり、引っ掛けてあるだけの吊りワイヤーが開放されて...
というもの。
当該装置の最も重要な点は重量、或いは接地抵抗っつか固定の強度であろう。
なんせ、覚えなく急に閉じ込められた獣が必死に暴れる脱出行為に
その後は”檻”であるはずの装置自体が転倒または動いちゃったら機能しないが故。
見上げれば、山間の閑散路に、春になれば満開の素敵 でしょう。
乙狩(おとかり)の桜並木、だそうな。
◇◇◇
昭和四十年代、乙狩栢野(かやの)の瀬口光盛氏は、乙狩川の大規模な
砂防工事に伴って出来た道路川側空地を、桜を愛でることができる場所に
しようと、乙狩自治会に桜の苗木の寄付を申し出た。
乙狩自治会は光盛氏の申し出を受け、地区の住民自らが汗をかきながら
桜の苗木を一本一本と手作業で植えていったのが始まりである。
その後、賛同した住民のなかから、桜の苗木を寄付するものが徐々に
あらわれ、桜の植栽は、道沿いに下流から上流へと進んで
現在の規模になった次第である。
年月が経ち、桜の木が成長するにつれて、見事な花を咲かせるようになり
今や乙狩地区の誇れる春の風物詩となった。
毎年四月の第二日曜日には、地元にある神明神社、津島神社、瀧神社
三社の春の大祭が執り行われるのに合わせ、乙狩発展会によって
出店等もある「桜まつり」が催されている。
乙狩自治会では、この桜並木の景色を未来につなげようと、空いた場所に
新しく桜の苗木を植栽や、枯れた枝の除去や下草を刈る等の維持管理を
毎年行っている。
◇◇◇
なるほど、これは”春のおたのしみ”が出来たご様子。
しかし油断できない
斯様なpetit顕示欲、ともすれば何らかのスタンド攻撃が通行人の隙を衝くのである。
ではなく、玄冬の山間探索でのひとコマ
なるほど。 「前足 であって、手じゃねぇです」などという無粋な思いは無用。
野生、ことさらジビエ的な自然と向き合う地域の日常なのでしょう。
つまり
こんな道路のすぐ脇に猪捕獲装置、である。
重量感、構造のプリミティブさ、そして”置きっぱなし”感に、中身が居ないのに威圧されます。
猪的な獣が中に入ったら、両側がガシャリと落下して閉じ込め成功 とするシステムとは
中央に張られた細い針金(①-①’)が、つっかえ棒に結んであり
獣がそれに引っ掛かって、ピンッ!と つっかえ棒が外れると
両側の扉?を吊り上げているワイヤーの張力が掛かっているレバー(③)が下がり
支点の反対側が上がり、引っ掛けてあるだけの吊りワイヤーが開放されて...
というもの。
当該装置の最も重要な点は重量、或いは接地抵抗っつか固定の強度であろう。
なんせ、覚えなく急に閉じ込められた獣が必死に暴れる脱出行為に
その後は”檻”であるはずの装置自体が転倒または動いちゃったら機能しないが故。
見上げれば、山間の閑散路に、春になれば満開の素敵 でしょう。
乙狩(おとかり)の桜並木、だそうな。
◇◇◇
昭和四十年代、乙狩栢野(かやの)の瀬口光盛氏は、乙狩川の大規模な
砂防工事に伴って出来た道路川側空地を、桜を愛でることができる場所に
しようと、乙狩自治会に桜の苗木の寄付を申し出た。
乙狩自治会は光盛氏の申し出を受け、地区の住民自らが汗をかきながら
桜の苗木を一本一本と手作業で植えていったのが始まりである。
その後、賛同した住民のなかから、桜の苗木を寄付するものが徐々に
あらわれ、桜の植栽は、道沿いに下流から上流へと進んで
現在の規模になった次第である。
年月が経ち、桜の木が成長するにつれて、見事な花を咲かせるようになり
今や乙狩地区の誇れる春の風物詩となった。
毎年四月の第二日曜日には、地元にある神明神社、津島神社、瀧神社
三社の春の大祭が執り行われるのに合わせ、乙狩発展会によって
出店等もある「桜まつり」が催されている。
乙狩自治会では、この桜並木の景色を未来につなげようと、空いた場所に
新しく桜の苗木を植栽や、枯れた枝の除去や下草を刈る等の維持管理を
毎年行っている。
◇◇◇
なるほど、これは”春のおたのしみ”が出来たご様子。
しかし油断できない
斯様なpetit顕示欲、ともすれば何らかのスタンド攻撃が通行人の隙を衝くのである。
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